音楽、純粋音楽、音楽以外の音楽

さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした。

俺は断言するが、あの初音ミクの機械の声を聞いて感動してCDを買う奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。

何であれがいいと思うの? なんであれのCD買うの? 本当に分からない。あれ機械じゃん。機械の声だよ? 誰だってあれ聞いて機械だって言うのは一瞬で分かる。それで感動するって本気で馬鹿なんじゃない? 

あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。つまり、人間の声と機械の声が区別つかなくなってるんだよ。だからいいと思って買う。これは馬鹿としか言い様がないだろう。日本の将来は大丈夫か?


俺のミクをバカにしたなこいつ許さねぇ!

じゃなくてねwwwwwwww


http://anond.hatelabo.jp/20090312233645
http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
↑の保存用にTumblrでQuote取ったのが→(populer3000@tumblr)

このエントリーは最近テクノウチさんがちょいちょい言っている「純粋音楽」と「音楽以外の音楽」を考えるトリガーにならんかな?
と思ったんだよ。

まず、自分の根本的な考え方として、CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。つまり、楽曲、歌唱、演奏などだ。

この増田さんは「音楽は『純粋音楽的』に評価しないといけないんじゃない?」と思ってるわけだ。でもミクにはキャラ絵があり、ユーザーたちが
纏わせた多くの設定やらなんやらの影響でミクの歌う曲を『純粋音楽的』に感じられないと嘆く。
そして、「音楽以外の音楽」が最近増えてないか?と危惧する。(が、これに関しては他の増田によってあっという間に論破されている。録音による音楽が成立して以来、ノベルティとしての音楽は無数に生産されてきているという事実を突きつけられた)
まあいろいろあって増田さんは「もっと純粋音楽的に音楽を感じ、そのCDを買ってあげてください」と懇願する。

とはいえ、音楽とカルチャーの完全分離は相当に難しいよ?

俺は、シンセ等機械のみで構成されている音楽を否定するものでは全くない。むしろ好きと言っても良い。ゲームの音楽で言えば、ダライアスの曲は全部好きだし、バブルシステムの起動時の曲には何度も癒されたし、Beepソノシートを一時期大切にとっておいた位だ(年がばれそうだ)。

これらの音楽にしたって「ゲームという体験」と切り離して語ることができるかい?
余談になるが東方のいわゆる「ルナシューター」クラスになると音楽と弾幕体験の切り離しが絶望的に困難になり、アレンジを聴いてもプレイ時の「避けきれない感覚のフラッシュバック」を起こす人もいるんだとか)

果たして今手に取っている音楽を、なんのカルチャー的な評価軸や体験の集積と関係なく好きなものであるか、なんて判断が下せるだろうか?

そういえば、かの文豪にして科学者であったゲーテは「原植物」*1という概念を考え出し、それが実在すると思い込んでイタリア中を探し回ったそうだが、
「純粋音楽」を求めてひたすらなんかマイナーだったり難解だったりするCDを漁り続けるのにも似たイメージが想起されるなあ。

あと、ミクに限らずボーカロイドに関して、「あれ所詮機械じゃない。機械が歌うの聴いてなんで感動すんの?馬鹿なの?死ぬの?」という類の
意見はよく見かけるがだがちょっと待ってほしい。「機械が歌っているからこそ感動的な歌もある」とは考えられないだろうか。

機械がたどたどしく、ヒトへの愛を歌う。ずっと昔から繰り返されてきた物語のような光景が、今は現実にある。その事実に感動できないか?

*1:植物の形態には大きな違いがあるが基本デザインは共通であるという考えから作られた、すべての植物のデザインの要素を持っている植物