せがのげーむはせかいいちー

昔、スペースハリアーってゲームがありました。3Dというものがゲームになかったころ、奥から手前に向かって敵や障害物が迫ってくるような
遠近感を演出した描画で擬似的ではあるけど3Dっぽさを感じることのできたゲームです。

なんかこの見え方を鍵として解釈したら「正面から見る東方弾幕」という未知の領域の扉を開けないか?という予感を感じている。*1

そして、正面から見る「アイシクルフォールEasy」をスペースハリアー的に想像すると…

バカだ!やっぱあいつバカだ!でも大好きだチルノ!正面がら空きだから思い切り抱きしめてやる!

*1:余談:ここ→ゲームアイデア案 - 東方二次創作:Project Myself - アットウィキでゲームアイディア案の一つに出てるね、「東方スペースハリアー」。

神の視点、人の視点。

さて、物事は視点というものを変えるとまったく違ったものに見えるわけで。

これを書くにあたって考えるうちに「打ち上げ花火上から見るか横から見るか」とかいう感じの昔の映画のタイトルっぽい何かが
頭を回り続けるのでタイトルがこうなりました。

東方をアニメ化する同人サークルがいる。
漫画で描く人はものすごくいっぱいいる。

弾幕ごっこの表現はさまざまである。

さて、東方をプレイする画面において弾幕はこう見えている。

飛んで移動しているキャラのさらに上から眺めていることになる。二次元に落とし込む以上そうなる。
厳密に言えば真上から見てる画でもないんだけどね。もしこれが真上だったとしたら自機はうつぶせ、敵はあおむけに寝そべって飛んでるようなもんだ。
斜め上、後方から見てる感じか?

でも動画とかになると視点をもっと三次元的に推移させて描写しなきゃないわけで。
スク水ジャスティスことwinnさんの動画の表現はすごくうまいと思うんだ。

縦シューティング形式の東方*1では、基本的に自機*2が飛んでいくと敵が前に立ちふさがって、戦うことになる。
自機の視点では弾は「前から飛んできてる」んだよな、と考えることからこのエントリに至る思考が始まったんだが動画も所詮二次元空間での
描写になるんで「例えばゲーム上で円形に見える弾幕はじゃあ前からみたら球状に放ってるように見えるのか?」とか疑問が次から次へと出てきて、
なにがなんだかわからなくなってきたのだ。

*1:萃夢想や緋想天も一応正規の東方のストーリー上に存在するからこういう形で分けざるを得ない。ま、「上海アリス幻樂団制作の東方」という書き方でもいいのかもだけど。

*2:霊夢でも魔理沙でもいいや。あ、次回作では早苗さんも使えるんだよね

アンテナに追加

昨日、タノシーストライクに行ってきたんだがそこで会った八十一十八(「やそいちとおや」と読む)くんに東方溢桜蕾ExtraEditionに参加してもらうことになった。面白くなりそうだ。
ということでブログをアンテナに追加。

eightyone-eighteen

音楽、純粋音楽、音楽以外の音楽

さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした。

俺は断言するが、あの初音ミクの機械の声を聞いて感動してCDを買う奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。

何であれがいいと思うの? なんであれのCD買うの? 本当に分からない。あれ機械じゃん。機械の声だよ? 誰だってあれ聞いて機械だって言うのは一瞬で分かる。それで感動するって本気で馬鹿なんじゃない? 

あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。つまり、人間の声と機械の声が区別つかなくなってるんだよ。だからいいと思って買う。これは馬鹿としか言い様がないだろう。日本の将来は大丈夫か?


俺のミクをバカにしたなこいつ許さねぇ!

じゃなくてねwwwwwwww


http://anond.hatelabo.jp/20090312233645
http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
↑の保存用にTumblrでQuote取ったのが→(populer3000@tumblr)

このエントリーは最近テクノウチさんがちょいちょい言っている「純粋音楽」と「音楽以外の音楽」を考えるトリガーにならんかな?
と思ったんだよ。

まず、自分の根本的な考え方として、CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。つまり、楽曲、歌唱、演奏などだ。

この増田さんは「音楽は『純粋音楽的』に評価しないといけないんじゃない?」と思ってるわけだ。でもミクにはキャラ絵があり、ユーザーたちが
纏わせた多くの設定やらなんやらの影響でミクの歌う曲を『純粋音楽的』に感じられないと嘆く。
そして、「音楽以外の音楽」が最近増えてないか?と危惧する。(が、これに関しては他の増田によってあっという間に論破されている。録音による音楽が成立して以来、ノベルティとしての音楽は無数に生産されてきているという事実を突きつけられた)
まあいろいろあって増田さんは「もっと純粋音楽的に音楽を感じ、そのCDを買ってあげてください」と懇願する。

とはいえ、音楽とカルチャーの完全分離は相当に難しいよ?

俺は、シンセ等機械のみで構成されている音楽を否定するものでは全くない。むしろ好きと言っても良い。ゲームの音楽で言えば、ダライアスの曲は全部好きだし、バブルシステムの起動時の曲には何度も癒されたし、Beepソノシートを一時期大切にとっておいた位だ(年がばれそうだ)。

これらの音楽にしたって「ゲームという体験」と切り離して語ることができるかい?
余談になるが東方のいわゆる「ルナシューター」クラスになると音楽と弾幕体験の切り離しが絶望的に困難になり、アレンジを聴いてもプレイ時の「避けきれない感覚のフラッシュバック」を起こす人もいるんだとか)

果たして今手に取っている音楽を、なんのカルチャー的な評価軸や体験の集積と関係なく好きなものであるか、なんて判断が下せるだろうか?

そういえば、かの文豪にして科学者であったゲーテは「原植物」*1という概念を考え出し、それが実在すると思い込んでイタリア中を探し回ったそうだが、
「純粋音楽」を求めてひたすらなんかマイナーだったり難解だったりするCDを漁り続けるのにも似たイメージが想起されるなあ。

あと、ミクに限らずボーカロイドに関して、「あれ所詮機械じゃない。機械が歌うの聴いてなんで感動すんの?馬鹿なの?死ぬの?」という類の
意見はよく見かけるがだがちょっと待ってほしい。「機械が歌っているからこそ感動的な歌もある」とは考えられないだろうか。

機械がたどたどしく、ヒトへの愛を歌う。ずっと昔から繰り返されてきた物語のような光景が、今は現実にある。その事実に感動できないか?

*1:植物の形態には大きな違いがあるが基本デザインは共通であるという考えから作られた、すべての植物のデザインの要素を持っている植物

島宇宙を飛ぶためのエンジンはロストテクノロジーになりました。ならば検索エンジンを積んで飛べるかやってみる!

http://www.voltagenation.com/blog/?p=120

今の音楽聴取には島宇宙が数限りなくあり、その島宇宙のひとつを掘り下げるだけでものすごく膨大な時間がかかる。音楽シーン全体を俯瞰することなんて、もはや不可能ですよね。音楽人口が増えているともいえるし、それぞれのシーンは沈没しているともいえるんじゃないでしょうか。

p3kが当初掲げた「ポピュラーミュージック」というキーワードは何も言ってないに等しいほど検索性に乏しい概念だった。これではだめだわ。
キーワードの変更でどのような効果が起こるかは、今後のエントリーで随時報告しようと思う。

ひとまずの目標は「お客さん100人来たらいいな!」立ち上げ当初からの目標から変化なしwwwwwwwだって達成されてないし。

できるだけ、みんなの検索エンジンにヒットする単語を投げかけていかなきゃ。まずは「ナードコア」からだけど。

オタクになる人、信者になる人。

でもこういうの、どんなジャンルでもいるよねぶっちゃけ。まあアイドルヲタの中には多いだろうな、というのは否めないが。
だからまあひとつのものだけ好きになって、それ以外認めないタイプの人ってのは「そういう気質」と考えるしかないかな、なんて思ってる。
「オタクはジャンルをクロスさせていくもの」なんて言ったのは岡田斗司夫だったな。わかりやすい例としてはイベントを効率的に回るために
交通機関を調べていたら鉄オタの領域に踏み込んでしまうアイドルヲタとかね。

そういう「オタクになる人」と「信者になる人」がどんなジャンルのファン層にも混在してて、それらがいっしょくたにされて「オタク」と呼ばれてる。
同じ場所にいて同じものを好きで、でも両者は環境を変えてみるまで見分けがつかない。それに気付けなかった自分は駄目だったな。

無自覚に「オタクを集めるつもりが集まったのは信者だった」のがp3kの問題点だった。

これからは自覚的に「集団から信者とオタクをふるい分けるためにアイドルをブッキング」しよう。河底を何度もすくって、砂金が出るまで繰り返すように。